各局女性アナウンサーに古いお米と新しいお米を炊いておにぎりにしてわざわざ食べて貰って感想を若い小泉進次郎農林水産大臣が尋ねる。私は見ていて恥ずかしくなる。
玉ねぎは一年経つと芽が出る、様々な処理が施されるようになったのはアベノミクス以来。それでも芽は出る。芽を出すのに使われた元の玉ねぎは姿を消す。ジャガイモも同じ。芽が出ないようにしてもやはり小さな芽を出そうとする。仮に芽が出なくてもジャガイモは1年経つと内側に芽を出すための変化が起き、不味くなって食べられなくなる。季節がやって来ると植物は新芽を出す。精米機にかけないで置くと必ず苗代を作る頃になれば、つまり春になれば米は芽を出す。精米を念入りにしても米が米でなくなることがなければ新芽を出すための力によって白米と言えど不味くなるから、毎年母は春には田植えを秋には稲刈りをした。鼠らず(鼠入らず)の中に何俵もびっしり俵を並べ重ねた。脱穀機も精米機もあった。牛もいた。苗代に使う米以外は全て食べた。床下には広くとったセメントの囲いがありサツマイモを籾殻の中で保存した。母は父が手伝わないと言ったりもした。父には父の仕事があり忙しかった。私達が小学校の高学年になると稲を干すのを手伝ったりもした。脱穀機のあのガソリンかなんかの匂いが私は好きだった。あの頃はきっと石油も純粋で品質が高かったのだろう。
古米など誰が食べるものかと私は思う。
古米など国民に食べさせて恥ずかしくないのかと私は思う。