ご飯は出て行きます、何処から出て行くか誰でも知っています。 しかし前頭葉に貯まっているという記憶は何処から出て行くのでしょう? 出て行く場所を知る者はいません。
記憶には実際自分が経験して絵で表し、文字でも書けるものもあり、学習のように、文字には表せても絵には書けないものもあります。 前頭前野に何を入れ、どんな信号を送ったのか知れませんが、前頭前野の筋の全てが貴方がた学者、医者のせいですっかり形(なり)を潜めていた私の頭、頭全体がいびつで硬くてつむじが中央になくて、首の形もおかしなことにされていた私でも、記憶には自信があり、一度見た英単語の意味は絶対忘れなかったのです。 前頭前野、海馬、頭、外科手術、脳の移植で儲けようなどと考えない事です。
私の頭が形を取り戻し、感覚器の位置や大きさが私のものに戻りつつある今日、昨日より機敏で、昨日より解放された気分で、きっとまた音声送信から解放された毎日を過ごせると思えます。
記憶の正体を見ようとする人々は、記憶を歪めようとする人々です。 貴方がたが記憶をどうしたくても、私達は覚えています。 覚えていても口にできずに死んだ第二次世界戦争に行った兵士の生き残りである父は、交通事故で記憶を失いましたが、全て戻りました。
故意に父の自転車を跳ね飛ばした男は、米子市議会議員だったか鳥取県議会議員の息子でした。 相手の過失にもかかわらず、謝罪も慰謝料の支払いもなかったのは、 米子市警、鳥取県警の議員への配慮だったのでしょう。
父はどれだけ私たち子どもに伝えたい事を抱えていたか分からないのに、戦争の事は何も話さずに死にました。 それが正しいのです。 戦後も戦時中も国家と占領した米国は兵士に口止めをします。 べらべらテレヴィで喋っている事は嘘、喋る人は怪しい。