「コンピューターの性能が大きく向上したことにより、機械であるコンピューターが「学ぶ」ことができるようになりました。」
機械が自ら学ぶ、まあ勉強熱心だこと!
学ぶのはいいとして、機械には学ぶ本質的欲求はなく、自他認識不能、善悪の判断を下す経験や自省心すらない。
人が決定を下す時に必要なものを機械は持たない。
機械をこよなく愛する人々は、機械が自分の代わりをしてくれることを願っている。
私はどうか?
私は私の頭で考えたい。
機械が傍で勝手に動けば私は機械の動力を止める、根こそぎ。
私は歌を練習する。
歌手の上達は、私の体の異変と比例している。
彼らは歌わない。
彼らの歌には音の高低がない。
機械が私の声を誤って学んでいるだけ、それを歌手が使うだけ。
私はピアノも練習している。
私は一曲を2カ月ずつ弾くことにした。
2カ月経ってNETでプロが教えているのを見た。
彼らは機械を入れたロボットなので、2か月びっしり練習した私に負ける。
只音が出ているだけ、メトロノームに合わせているだけ、美しいという言葉を指で表現できない。
文部科学省は「機械学習をはじめとしたAI技術により、翻訳(ほんやく)・・といった人間の知的活動に、AIが大きな役割を果たしつつあるとHPに書いている。