Blue Eyes - Within Temptation (Lyrics)

Blue Eyes - Within Temptation (Lyrics)

Title Blue Eyes
Artist Within Temptation

Blue eyes just smile to the world
Full of dreams and with fascination
Too soon she saw that her hands were chained and pulled without any freedom
It's always the same, they fear no way out
I cannot break it
I can take it no more

It's burning me up inside
Lost all my tears, can't cry
No reason, no meaning
Just hatred
No matter how hard I try
You fear the beast inside
It's growing, it's waiting
Just to hurt you

This heart was hurt by the light and
I see your world that tries to deny us
Now everything that I love has died or has been shattered to pieces
It's always the same, they fear no way out
I cannot break it
I can take it no more

Just to hurt you
Just to hurt you

Can't you see their eyes, what lies inside
They've given up, they no longer shine
Too soon they close with one last cry
Before they turn to light

It's burning me up inside
Lost all my tears, can't cry
No reason, no meaning
Just hatred
No matter how hard I try
You fear the beast inside
It's growing, it's waiting
Just to hurt you

Just to hurt you

Within Temptationは、
オランダのシンフォニックメタル(オーケストラ、合唱とのアンサンブルは、シンフォニー・交響曲を思わせる)、ゴシックメタルバンド(中世教会風、歌詞もキリスト教がバックにある。)

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涸れた倦み

2014年5月6日火曜日

柳田邦男を読む柳田邦男を読む「サクリファイス犠牲わが息子・脳死の11日」132

結婚は「心臓の健康に良い」と、米ニューヨーク大学ランゴンメディカルセンター循環器学特別研究員カルロス・アルビアール(Carlos Alviar)は、発表した。
こうしたニュースは、翻訳が間違っている事が多い。
 間違っていないとして、結婚が心臓に良いか、どうか考えてみる。
 結婚は、した方がいいと思うが、どうしてもそうしなくてはならないものではない。
 一人の意のままにならない異性を側に置くと、人生の修練にはなるだろう。
 人生は、自己を鍛える為にあると考える人もいるし、ただ毎日が楽しく、幸福そうに見えさえすればいいものと思う人もいる。
 誰しも、何かに囚われて、人生をすっかり台無しにしてしまいたくはない。

 結婚した時、私が感じた事。
 世の中があり、私一人だけの家がある。
もう一人、私の家に「あなた」と呼ぶ人がいた。
 「あなた」は、世の中が棲家で、
 私は、家の中だけが棲家だった。
わたしは、一人であると感じたかった分けではないが、結婚によって、人は、孤独の意味を知る事になると思った。
 子供は、私が子供だったから、欲しいと思った事はないが、直ぐに産んだ。
 子供との暮らしが始まった。
 子供は、私自身だった、私の全てだった。
 私の事など、それまでどうでも良かったが、子供が生まれると、私は死んではいけない、死ねもしない、絶対私は死にたくないと思うようになった。
 子供が一日を過ごし、一日生きる時、私は、一日を生きる意味を知って行った。

 「あなた」や「子供」と生きる。
 結婚は、私のすぐ側に、私の意の侭にならない幾つかの人間存在を許す事である。
 心臓が止まると、私は死ぬ。
 「あなた」が死んでも、私は死なない。
 「あなた」は、私の心臓ではなさそう。
 「子供」が死ぬと、私は生きられなかった。
 「子供」は、私の心臓だった。
 「あなた」の事を疑ったり、分かれようと思ったりした。
それは、「あなた」は、私の心臓ではないからである。
 「子供」と離れると生きられそうもなかったから、私は、「あなた」と暮らし続けた。

 「あなた」と生きる事を「婚姻の持続」と言うのだから、結婚そのものは、心臓に良いとは言えない。
 結婚し、子供を産み、育てる、それは、・・・いえ、それも、心臓にいいとは言えないし、心臓との関係を云々してもねえ、と私は思う。
 心臓病で私達を殺したがる医者なんて、一人も居なくなれば、その時、「あなた」も私の家の住人になってくれるのかも知れない。
でも、「あなた」は、もういない。
 医者が「心臓病」と名付けて殺害したの。
22:35 2014/04/01火曜日