- Within Temptation (Lyrics) -The Truth Beneath The Rose

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涸れた倦み

  • 私の全身全霊が記憶している不正措置入院 - 「認知機能」は、人が心理学的な「認知」を行うための、知的機能を総称した概念です。五感(見る、聴く、触る、嗅ぐ、味わう)を介して外部から得た情報をもとに、物事の現状を認識したり、言葉を操ったり、計算・学習・記憶を行ったりします私達は脳からの指令で動いてはいない。今、私がこれを書いている理由、「統合失調症」という病...
    1 か月前

涸れた倦み

2012年1月5日木曜日

生きるには

サチコ 幸子

生きるにはごはんを食べればよい
生きるには死ななきゃいい
生きるにはきれいないろの服を着て
我を忘れ盛りの歌を歌えばよい

もっともちいさいものであればよい
とにかく世に知られずひっそりいればよい
生きるには生きればいい
暑い日が続けば水に体を捩(ね)じ込む
寒い日が続けば氷を割って底に沈む

生きるには一人用のこころがあればいい
生きるには一人分の食器に一人分のスプーン
禁じられた食卓の触れないうわさ
一人用の寝台に一人分の乱れ
生きるにはすっかりなくす生き物の殻

しあわせを待つ
しあわせを待つ
しあわせを待つ
生きるには一列にしあわせをいくつ並べよう
どれくらいしあわせになる日を待てばよいのだろう
胸に宛てて送り届けられる打ち消しの文字
見えないものを見て、見えるものを見て
見ていないわ
見えなかったの

生きるには夜、一時(いっとき)ゆめをみたい
生きるには朝、二つに千切った希望の形を二人で分け合いたい
何もかもがいやになる
行方、流れ去る時

男はおんなに
女はおとこに
ことばを捨てて
正義を捨てて
此の世の生を捨てて
と云えない

生きるには何もしないでいればよい
生きているから
今日が流れ
明日が流れ
希望は日に映えて

生きるには苺のようにかわいくあればよい
わずかなしあわせを胸に抱き
大きな木の影に眠っていればいい
生きるには眠りかけたらそのままみんな忘れてしまえばいい

生きるには昨日に手を加えて
生きるには聖書に手を加えて
生きるには良心に手を加えて
過ぎた物と
完全な物と
手の込んだ物と
分厚い物を
欠けた爪としてすっかり切ってしまえばよい

生きるにはひょっとしたら死んだように悄悄(しおしお)と暮らせばよい
理性と感性に通じる道を破壊し迷い子になればいい
その道に美しい花を植え新しい歌を口ずさもう

生きるには狭い心をなるったけ心細く保ち
門を閉じ雨戸を閉め部屋を真っ暗にする
暗闇には小さなろうそくの灯かりがあればよい
庭には雀の網を張ればよい
雀がかかれば身代わりにわずかの涙を流せばよい

生きるには風に靡(なび)き雨に濡れ非を打たれればよい
生きるには陽を浴び水を浴び酒を浴び非を認めればよい
ガラスの破片を撒いて血を流す
無駄口を利いて胸をずたずたに引き裂く
生きるには弱弱しくよろめきながら歩けばよい

夜眠り朝目覚めればいい
眠って起きて嘆きの荷を水に流せばいい
この上なくひそやかないのちを針と糸で侵入から守ればよい

生きるには手の平にある未来を全部なくして孤独に暮らし
処方された夢を投げ捨て
世界に割り当てられる鈍感な主義思想に属さない
生きるには降る幸と吐息のサラダを作って食すればよい

理不尽に振り返らないばかりに
おどけた手と縛られた足から成る
狂おしいほどの落下に殉じ
空一面物さびしく
口いっぱい十字架を頬張る

生きるには瓶の中の根を弄び
底に渇きを張り付け
許された裡(うち)なる所有をアルコールに浸す
生きるには声と涙、倶(とも)に下る烈しい炎
灼き尽くす私の席

生きるにはえとらんぜ
背に負う負極
のちの時代に成し遂げられる独立を支持する
かかとの辺(あた)り、定められた時刻
ガラスの靴、ガラスの空間
小声で囁く、「しあわせは零時に」

荒れ果てた城
不可能はなかった
意味を持つ行動と意志の統制
歪曲された人の絵姿
生きるには服従の方式を採用する

生きるには今日はまた違う今日を
明日はまた俗悪な今日を
いつまでも見つからない燃やした手紙と捨てたあるばむ
生きるには道端にあるとは限らない愁えをひも解く

雨に打たれて情けなく
風に揺れて情けなく
花を摘むのに明け暮れる
報われたい、裏切られたい、求められたい
生きるには形どった花を象(かたど)る

生きるには生きた空白に偏(ひとえ)に煩わされ
生きるには生きる幻想に深く恥じ入り
今熱情の欠如に打ちひしがれ
貴方の愛した楽園に向かう

幕が下りるまでのろのろ生きればよい
常軌を逸したくちびるの虜(とりこ)となり
生きるにはスプーンで言い知れぬ傾倒を注ぎ
全権のテーブルを離れればよい

生きるには自由への途(みち)を正しく歩くだけで
誓いを固く守るだけでいい
裏付ける何ものもいらない
今日でさえ誤解に息を呑む
明日生きるには窓を開け朝の光の中で大きく息を吸う
数多(あまた)の星を見て大きく息を吐く

ぼんやり座る窓辺
落ちた花は何かを思い出させる
何も思い出したくなければ息を呑み込めばいい
この上ない父と母の下で言い訳をし危険に強く惹かれる
生きるには傾く思いを露(あらわ)に自制を捨てればよい

生きるには低く垂れた雲
荒れた海原
卓上に海図を広げ終局を迎えればよい
苦悩は光を遮って闇に降り立つ

生きるには軽はずみであればいい
生きるには目覚めた朝
横に眠る見知らぬ人に分かれを告げ
何もかも忘れてしまえばいい
調子の外れた歌を賛美し
ふたたび皆と一緒に行けばいい

生きるには書物から目を解き放ち
その人の抱擁の呪縛を振り解き
ろまんてぃしずむの皮を剥ぐ
生きるには死に筋の精神と肉体を削除し
退廃を仕入れる

脈絡の在るところ、落丁を呼び
一図を奪う
夢と現(うつつ)、昼と夜
身を任せる背筋の角度
生きるにはあり余る渇き

神を出で人は初めて情理を尽くす
人は街に出で愁眉を開く
人が生きる時門に入り門を出る
生きるには門の内側外側
惑い揺れながら行き違えばよい

窪みにつもりもなくなく
空虚に理由もなく
過ちに声なく
罪に力なく肩を落とせばよい
生きるには暗い水の底息を止めて目を閉じればよい

夢は消え足に課された追想が列を乱す
生きるには手を開いて心行くまで失えばよい
ふさわしい一瞬を見送り
忌々(ゆゆ)しい次の瞬間に姿を描ければよい

幸いは一様に崩れ
不幸せはちぐはぐに積み重なる
行きずりに求める物語
心引かれ満たされる灯ひとつ
生きるにはそのような添えられた定めを生きればいい

生きるには屈辱の中にあって高潔でありたい
生きるには時に共に堕落したい
貴方には私を引き摺り込んでふしだらであってほしい
生きるには少なくとも涙がほしい

惨めな季節 凍る言葉
生きるには何もいらない
パンと水が
床に転がって
雨となって
あればよい
降ればよい

ぷっつり途切れたことば
生きるには朽ちた樹、枯れた葉、閉ざされた光り
滅び往くものとその単一の傾向があればよい
かけ離れた表情で伝える不如意

ぷっつり途切れた碧空
分かれて此の方極印を捺され続ける文字
生きるには代償
書くには代償
あおいうみ
澄み渡った山
手渡す自由

生きるには暗い夜に星の明かりがあればよい
生きるには匿名の便りでいい
人の気配が時たま届けばいい
人に似た血が心から体に流れ、流れ
胸から口元から毀れる

読み終えた本は夢から遠ざかる
終えようとする一日は西に傾き
遠ざかる背中
遠ざかる手と足
生きるには物語りを読み進めればいい

仕方ない成り行き
背と背を合わせ手を離す
往(い)った時を眺め恣(ほしいまま)に荷にする
広がる空を眺め煩わしくて余計な荷を解く

不仕合わせになりたい
不仕合わせになりたい
不仕合わせになりたい
朽ち果てたい
引き括(くる)めてどん底
生きるには並外れて軽はずみでありたい

生きるには私の輪郭と私自身の間の混沌を愛したい
生きるには予(あらかじ)め用意する今と
今この瞬間の身に染みる透明を愛したい
推し量る図を愛したい

荒む姿を映す空気の筋道を接(つ)ぎ合わせ
悖徳(はいとく)の破れた家を修復する
生きるには行き違う人、重ねる月日
後ろ向きに建てた家を愛したい

もちろん愛に理性は要らない
愛に真(まこと)はない値打ちもない
もちろん別れるには貴方と話し合うべきだった
留まるには、唯、岐路に立ち尽くすばかりではならなかった
生きるには希望と落胆のどちらかを選ばなければならなかった

生きるには見え透いた力に動かされ
気付いても知らない振りをする
何かに属し
何かと離れ
生きる時、握り締めた愛と憎しみどちらかを選べない
生きる時、私を真似て人を真似て何処に何があるのか分からない

分かるより分かってもらいたい
生きるには不安の中に目を閉じ
逃れようのない家屋を理解する
生きるには家路を辿ればよい

沙に足音を聞き
岩に身を寄せる
生きるには波があればいい
生きるには引く潮があればいい
生きるには渇きがあればよい

工場の機械の作動の前で人は等しくない
国家の法の下で人は等しくない
私の窓から私は自由に飛び立てない
君の少しも曲がらぬ心の前で私は自由ではない

人は人に幻想を抱く
人は人と抱(いだ)き合いながら沈黙の唇と背く背を持つ
歩み寄る足で踏みつけ触れる指を隠す
生きるには伸び広がる草の上肌を露わにすればよい
生きるには尚、野に可能を探し求めればよい

街端(はず)れの景色
先の尖った形
失くした記憶
生きるには私の風景があればよい

こころはどこにもみあたらない
いきるにはおやをなくしたこどもになればよい
いきるにはあいとわかれたおんなになればよい
ひとはぼんやりおもえばよい

実体もなくあたかも人のようにいればいい
反映に過ぎない本質を生きるには知ったかぶりをすればいい
脳は記憶を表出する装置に過ぎない
生きるには言葉と風景を失くした人であればよい

言語も画像も身の内に蓄積出来ない
記憶は私の外側にある
心は私の外側にある
或る感情を齎し行動に至った筋道
回路を遡(さかのぼ)っても何処にも行き着かない
生きるには今日を私らしく生きればよい

どっちみち水は淀む
陽は落ちる
人は死ぬ
人は人に見せるために生きる
生きるには寝乱れた床(ゆか)を片付け
漏らした声を呑む
人は裏寂しい野に在らざるを得ない
人は踏み行うべき道を歩かねばならない

どっちみち人は死ぬ
色を変え
欠ける
調子を失った視覚と聴覚
調節された方向と広がり
どっちみち人は狭い
どっちみち花の命は短い

生きるには下された審判を受け容れて生きればよい
開かれない地図
知られざる地
淡い期待に揺るぎない現実
生きるには不実な梯子をひたすら上らなければならない

柩(ひつぎ)に入る人
彼の生は無意味である
彼の生を有意義と考える人がいるとき
彼の生は意味のあるものとなる
生きるには生きるそのときを自らのものとして生きればよい
生きるには言われもしない言葉、在りもしない場所に向かい
虚空を前提として生きなければならない

核心を離れ春から遠い寂莫
紙のない昔、神はいなかった
私は私であり
貴方は貴方であった
悲しみは悲しみであり
私の思いは貴方に
貴方の思いは私に
誰の思(おぼ)し召しもなく

唯一つの跡
その時々は一片(ひとひら)の降る雪
その果実は置く霜
生きるには果敢なく密かに
舟ならば沈めばいい
情熱ならば冷やせばよい

人は文字に支配され言葉に翻弄される
記憶が或る確実な一枚の絵であるとき
私はその景色に掌握されている
その文字と景色が形成する絵、一頁の物語
私はそれ以外の何者でもあり得ようはずもない

鎖で繋がれた人の記憶
それは人と人を隔てる
例えば図書室の一冊の本
生きるには或る日、一冊の本を破り捨てればよい
風に吹かれ何処かに消える紙切れを追いそして見失う
生きるには口を開き新しい道を尋ねればいい
生きるには耳をそばだてず目を見開けばよい

どの角を曲がっても許す廊下、許される床
何処の空の下にも鬱蒼とした森
許されない日々
胸を切り細裂くゆとりの時
生きるには遠く、死ぬことからもかけ離れ

小振りな雨
涙が落ちる
夜明け方人知れず
生きるにはいろいろの色彩
生きるにはいつまでも悪い夢を見ている

生きることそれは何もない部屋の何も持たない私が何も思わないこと
決して物笑いになることは惨めではない
裏切られることは一人に向かうことではない
裏切ることそれが一人に向かうことであり
笑い者にすることそれが惨めになることである

今の私と次の瞬間の私が違った顔をしている
今の国の姿と明日の国の姿が一致しない
血塗れの愛着
それが人を愛すことであるかも知れない
それが国を愛すことかも知れない
今日の出来事を紙に印刷するように
考えたことと行ったことが顔に印刷される

線だけで描く絵がある
何を頼りに何を辿ろう
導かれやがて連続する
操られやがて余白を分割する

生きるには知らない街の空を仰ぎ
知らない港から舟を出し
醒めない夢をひた走る
溺れる人形
遠い慰め
生きるには人でなし、下賤な者、火がついた家に住む

常の服を着て頭を垂れ
認め
感じ
記憶し
思考する
泥濘に踏み出す足
空いた所を埋める忍耐

脳を覗いた人々に待つのは死
人の道を踏み外した人々に待つのは死
女であり男である定めを捨てた人々に待つのは死
邪淫に耽る脳科学者と文学者に欠ける認識
認め
感じ
記憶し
思考する
生きるには脳を覗くのではなく
私を見詰める心と私の外側にある私の記憶と古今東西の人々の記憶があればよい
私は人間という地球を成す一つの装置である
一つの装置の一つの部品を盗むことは出来る
一つの装置を壊すことは出来る

人は大地からいのちを
樹木からいのちを
人は水辺で
人は森で
人となる
生きるには息を吸って吐けばよい
息は言葉である
其処に心があり
其処に空があり
其処に海がある
其処に貴方がいる
生まれて死ぬまで私は生きたい

心なくして人は生きられない
心は君のものであって君のものではない
傷つける心も傷ついた心も心である
人はみな、変質したものと欠けたものを抱く

息を吸って吐く
息を吐く時、溜息となり言葉となる
言葉は心である
言葉は命である
人は言葉を得たのではなく、言葉は其処にあった
人が其処にいて、言葉が其処ににあった
記憶が人の外側にあるように
心が人の外側にあるように

認め
感じ
記憶し
思考する
そして人は互いに認識し合う
生きるには認め合って生きればよい
人の心は外側に
人の記憶は外側に
言葉は其処にあり
人が此処にいる
言葉は私と貴方の間にあり
記憶は私と貴方の間にあり
心は私と貴方の間にある

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22:48 2011/10/04火曜日
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20:55 2011/12/25日曜日

共産党は、
http://blog.goo.ne.jp/urmt
未来を信じ、未来に生きる。
urmtを使って「民事で慰謝料請求!!」「刑事で慰謝料請求!!」「逮捕が近い」「河童の捕獲」「判決」と脅迫、恐喝、夫の殺害予告等を続けて来ました。

社民党政府の名誉毀損(社民党はこれを中傷と言わない)②
http://anatatoae71.jugem.jp/?eid=100

社民党名誉毀損事件の記事を改竄し、詩や訳詞を盗んで来ました。
「鳥居正宏のときどきLOGOS」と同じ FC2にブログを持つ米子市民劇場会員の
http://yoshidu.blog86.fc2.com/
石橋よしえblog
俳句を詠む(「新俳句人連盟」会員)
演劇鑑賞(「米子市民劇場」会員)

赤旗は私の記事を盗んで使ったこともあります。
石橋よしえと畠山(元教師)が、「私のメールを読んだ」と言って二人で家に来ました。
しかし、私は共産党にメールを書いたことはありません。
メールには何も書いてないのに、何故市議会議員が来ることがあるでしょう?
メールアドレスも間違っていました。
メールを送ってみれば、メールアドレスから私の名前が出ないことが分かるはずで、悪戯に気付かなければなりません。
共産党元教師、市議会議員が、メールを送った相手にメールで問い合わせもせず、母に電話して私を呼び出すこともなく押しかけて来ました。
この元教師畠山と共産党市議会議員石橋よしえ、高橋幸敬弁護士は、母や私の住所をNETに書き込んでいます。
そうでなければそういう対応はしません。
私が共産党と教師のことを書いているため、脅迫、恐喝に来ました。

私の貯金が去年百万円盗まれています。
共産党が関っていることと、畠山(元教師)と石橋よしえ、高橋幸敬弁護士を代表とする米子共産党市議会議員、市民劇場、労音が関係しています。
詩や記事の改竄、削除、窃盗、614万円振り込め詐偽、百万円その他多額の窃盗、夫の殺害、社民党名誉毀損事件の捏造に共産党が関って来たことは、誰でも知っています。

町内の住所・氏名が書いてある紙を持って来ましたが、私の名前は書いてありません。
隣の木村の家は、私の家より小さく、土地は同じ面積なのに、家も土地もこの区域で一番大きく書いてありました。

私の住所や氏名を誰かに教えたことも、母と住んでいることを教えたことも、自治会に知らせたこともないのに、何故私の家に共産党員が脅迫に来たのか分かりません。
脅迫でしかないことは、私と読者だけに分かることです。
何年も前から、「畠山です」と言われて来ましたが、私は誰か知りませんでした。
それも「畠山耳鼻科」と繰り返し言っていました。
元教師畠山が2006年から音声送信をして来た張本人であるという意味だとやっと今気付きました。
畠山を中心に音声送信が行われて来ました。
フィルターをかけてありますが、間違いなく何度も聞いた声です。

共産党赤旗のひねくれた、実に幼稚な記事の書き方を思い出します。
私の詩や記事を改竄削除する手伝いを共産党がして来たことは明らかです。

私の詩の殆どが改竄されてしまいました。
昨日ノートが又入れ替えられ、プリントが盗まれ、「レナードとほろびたい」「あなたと歩く道」の詩の中に私が書いた詩ではない詩が入れてありました。
「あなたと歩く道」の絵は殆ど盗み、記事も削除してあります。
一昨日、私の買ったばかりの辞書の「代替え」という文字に線が引いてあり、本にアンモニアを付けてありました。

私は、昔、大阪で文芸サークルに入っていました。
共産党員がたくさんいました。
彼らの酷く捻じ曲がった、主語から述語に行き着けない文章を思い出します。
そうです、頭と顔に支配された文章です・・・

読売新聞
米子市**出逢い
社民党と共産党は、熟女サイトに私と母の住所・氏名を掲載し、一時は数千近く組織的に投稿していました。
熟女サイトの運営会社は、読売新聞社です。
読売新聞の紹介文が載せてあります。
読売新聞の許可のない掲載は考えられません。
米子共産党員石橋よしえも、この熟女サイトを応援しています。
ブログにトラックバックを送って猥褻サイトを紹介するのは、社民党議員、山本香苗公明党国会議員、公明党市議会議員、戸井田徹自民党国会議員、と同じです。