例えば、雑誌に私の詩が載る。
私は、うれしい。
しかし、その雑誌で誰かのプライヴァシーが暴かれる。
私の詩は、腐る。
私も腐る。
やっと科学雑誌「ネイチュアー」に掲載されたと言って、大喜びの科学者がいた。
そこに掲載されていたのは、猿の指や足が緑色に変わった写真。
私は、詩を書いた。
勿論、その写真を使った。
こんな写真と研究論文に、著作権も、肖像権もなく、ありとあらゆる権利の主張を許してはならないと思った。
研究だからと言って、モルモットなら幾らでも殺していいか?
猿はどうか?
ヒトは?
モルモット、猿、ヒト・・・
皆、怯えている。
科学者は、何の為に研究しているのか、考えようとしない。
どんな必要性があって、研究するのか、知らない。
私達は、もう欲しい物はない。
欲しいと思わせる、即ち、欲望を呼び覚まさせようとする。
NET、TV、新聞、雑誌に数年前まで掲載されなかった文字や絵、写真、画像が犇(ひしめ)く。
私達は、怯えている。
脳科学が世界を席巻して久しい。
脳科学に頼らなくても、私が全てを話しましょう。
そして、貴方も全てを語って下さい。
語る言葉は、脳からも何処からでも、虫からだって、鼠からだって、無尽蔵に出て来ます。
シェクマン博士が、初めに科学雑誌を否定したのではない。
私は、脳科学人体実験被害者だから、医学も、科学も、科学雑誌も、医学雑誌も、薬さえ否定する。
ヒトを実験材料にした、ヒトの為になる機器など誰も求めていないし、ない。
モルモットに命があるように、ヒトにも命がある。
どちらが大切か?
勿論、ヒト?
いえ、私は、ヒトもモルモットも同じだと思う。
22:56 2013/12/23月曜日
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