- Within Temptation (Lyrics) -The Truth Beneath The Rose

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涸れた倦み

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    5 年前

涸れた倦み

2014年3月11日火曜日

柳田邦男を読む「サクリファイス犠牲わが息子・脳死の11日」81

柳田邦男次男洋二郎君は、級友の投げ付けたチョークによって眼房内出血、その夜、医師の指示通り、柳田夫妻は、眼圧上昇防止の為、
洋二郎君を横にしないように、朝まで彼の体を支え続けた。

翌朝、洋二郎君は、都立病院に入院。
やはり、前日の学校側が連れて行った医師は、その場で入院先を探さなければならなかったのだ。
眼圧上昇の危惧を、父柳田に告知した時点で、眼科医と中学校側は、事の重大さを認識し、入院先を紹介する義務があった。

どのような場合も、眼球に注射をしてはならない。
柳田邦男は、
「治療でいちばん苛酷だったのは、眼球に直接注射針を刺されることだった。注射針が迫ってくるのに、目を閉じては駄目と言われる。
怖さと痛みに同時に襲われるのだ。・・・」
注射針の眼球への挿入は、安全である、と人が思えば、怖くはないから、人は目を閉じはしない。
人が危険だと察知する治療は、治療とは言えない。
医師の病状悪化作戦だ、と患者と家族は考えるべきである。
制癌剤投与も、そういう意味合いから言って、非常に危険である。
又、制癌剤投与によって癌を克服した人はいない。

眼房は、11日間出血したと言う。
この事から考えると、眼球注射は、間違っていた。
例えば、皮膚が傷付いたとすると、出血は、早ければ数分、遅くても十分・・・かかるかかからないかだ。
当然、何時までも続く眼球注射に恐怖以外の何も感じるものはなかった筈である。
おそらく、両親に、「もう注射を止めさせて」、と言ったに違いない。
洋二郎君は、同時に、「洋二郎は、失明するのではないか、と云う恐怖に慄いた」と柳田は、書いている。
眼科医に直接、繰り返し、「止めて。」と訴えたに違いない。

眼科医は、意図的に柳田邦男の次男洋二郎君を失明させるか、失敗しても、精神と神経の病だと云う事にしようと計画している。
13代日本医師会会長羽田春兔(北海道帝国大学卒、1984年から1992年 東京都医師会長)、14代日本医師会会長村瀬敏郎(慶應義塾大学医学部卒、1992年から1996年、日本医師会副会長、東京都医師会理事) が洋二郎君の死を演出した。
以下の厚生大臣と首相が関わっていると考えられるが、当然この前後の厚生大臣、厚生労働大臣も関与している。
75 戸井田三郎 第1次海部内閣 1989年8月10日 自由民主党
76 津島雄二 第2次海部内閣 1990年2月28日 自由民主党
77 下条進一郎 第2次海部内閣 1990年12月29日 自由民主党
78 山下徳夫 宮澤内閣 1991年11月5日 自由民主党
79 丹羽雄哉 宮澤内閣 1992年12月12日 自由民主党
80 大内啓伍 細川内閣 1993年8月9日 民社党
81 羽田孜 羽田内閣 1994年4月28日 内閣総理大臣が臨時代理 新生党
82 大内啓伍 羽田内閣 1994年4月28日 民社党
83 井出正一 村山内閣 1994年6月30日 新党さきがけ

この間の日本医師会の動きは、実に興味深い。
1990年2月 日本医師会館移転。
1990年4月 日本医師会認定産業医制度発足。
1991年4月 日本医師会認定健康スポーツ医制度発足。
1995年1月 阪神淡路大震災(救援活動展開)。
13代 羽田春兔 北海道帝国大学卒 1984年 - 1992年 東京都医師会長
1993年(平成5年)- 財団法人全国精神障害者家族会連合会より精神分裂病の病名を変更するよう要望を受ける。

スポーツが、スポーツとしてではなく、経済を活性化する一手段として扱われ、スポーツ選手をロボットとして使い始めた時、負傷した目の治療は必須だった。
洋二郎君は、他界までの五年半、眼科、精神神経科学会の研究材料として、貢献を強要された、と私は考える。
その家族、柳田一家は、眼科患者、精神経科家族の見本として研究され尽くしたに違いない。
精神神経学会は、何時も、誰が学会長か明確に記そうとしない。
全家連による横暴を極めた精神分裂病を統合失調症と名を変えるまでの期間、柳田邦男次男洋二郎君、長男、長女、柳田夫妻の精神状態の変遷、推移は、大いに参考になった筈である。
2002年、公明党創価学会坂口力厚生労働大臣は、精神分裂病を統合失調と改名、殆ど患者の居なかった精神分裂病を、10人に一人の有り触れた精神病に変え、誰彼となく精神病だと警察に因縁をつけさせ、保護入院、措置入院を強制、禁治産者を大量生産、預金、土地、家屋、金品略奪を容易にした。

23:03 2014/02/08土曜日