Blue Eyes - Within Temptation (Lyrics)

Blue Eyes - Within Temptation (Lyrics)

Title Blue Eyes
Artist Within Temptation

Blue eyes just smile to the world
Full of dreams and with fascination
Too soon she saw that her hands were chained and pulled without any freedom
It's always the same, they fear no way out
I cannot break it
I can take it no more

It's burning me up inside
Lost all my tears, can't cry
No reason, no meaning
Just hatred
No matter how hard I try
You fear the beast inside
It's growing, it's waiting
Just to hurt you

This heart was hurt by the light and
I see your world that tries to deny us
Now everything that I love has died or has been shattered to pieces
It's always the same, they fear no way out
I cannot break it
I can take it no more

Just to hurt you
Just to hurt you

Can't you see their eyes, what lies inside
They've given up, they no longer shine
Too soon they close with one last cry
Before they turn to light

It's burning me up inside
Lost all my tears, can't cry
No reason, no meaning
Just hatred
No matter how hard I try
You fear the beast inside
It's growing, it's waiting
Just to hurt you

Just to hurt you

Within Temptationは、
オランダのシンフォニックメタル(オーケストラ、合唱とのアンサンブルは、シンフォニー・交響曲を思わせる)、ゴシックメタルバンド(中世教会風、歌詞もキリスト教がバックにある。)

マイブログ リスト

TranslateElement翻訳

涸れた倦み

  • 存在 台所では - 存在 台所では台所では一刻も早く意識を失い嫌悪を丸め込み明瞭を閉じ込め夜明けまでに肝心なことは振り捨てて打ち明けるとしたら一言二言台所では言わなくてもいい自分がトマトに似てしまうので恥ずかしい理不尽に駆け寄っては母は暗い窓の向こうを見詰め泣いていた開けっ放した戸から引っ張り込みたい希望私は母の後ろで分別というも...
    5 か月前

涸れた倦み

2014年3月17日月曜日

柳田邦男を読む「サクリファイス犠牲わが息子・脳死の11日」87

柳田邦男は、「現代人の死は、しばしば個人の営みの範囲で終わることなく、それ自体のなかに社会的な意味がこめられている・・」と言う。
おそらく彼らは、自ら先端を行かねばならない、時代の先端にのみ、この行き詰まった状況を変えるものがあると考える。
 彼らは、私達より多くの事を先に知り、先に人々に紹介する、又真っ先に紹介せねばならないと考える。
それは、経済優先志向がそうさせるのだが、実際は、彼らも人であるから、もう終わりにして、少し休もうじゃないかと言いたい。
 利益追求の先端にあるのは、人を刺すだけの尖った針状のモノであるし、科学やそれに追随せざるを得ない人々の心に、深く宿るのは、焦燥感や虚無感、欲望への衝動と傾倒、現実逃避への憧憬である。
 現代人の死は、社会が齎(もたら)す、自然死ではなく、事故死や自殺や、他殺といった。
しかし、それは違うと思う。
 人は一人だけで、この地球に生まれ、生き、死ぬのではない。
 大昔も、今も、社会が人を拘束する手段と度合いが異なるだけである。

 洋二郎君は、柳田邦男が言うサイキックナミング(心理的感覚麻痺状態)に陥る事が出来なかった。
 寧ろ、多くのノンフィクション作家や、小説家は、心理的に感覚が麻痺している。
 累々たる書籍の屍(しかばね)が書庫や机や床を占領しているのに、其処に、今も、青い空と飛行機雲と夢を見ている。

 喩え歴史が権力者によって、仕舞いに、必ず葬られるものだとしても、私は、ひとり、葬られない道を探そうと思う。
 私が、詩を書き、翻訳をするまでの私であるなら、寧ろ自ら全てを葬りたかった。
それ程、退屈な人生だった。
 人が選ぶ道を行けば、孤独が其処に待ち構えている。
 誰も行こうとしない道を選びさえすれば、孤独は、反(かえ)って、最高の道連れだ。
 同じ道を歩き、同じ山を皆で掘り返しても、もう其処には何も埋まってはいない。

 権力者は、一人を殺して、何もかも葬ろうとする。
しかし、一人の死が、全てを明るみに出す。
 毎日自殺、他殺と言っては、邪魔者を殺す貴方方を、一人の死者の眼とその周辺の眼は追い続ける。
 貴方方は、何万の死者の血を流す眼と、生き残った者の怒りの眼差しに耐え、怯えながら生きる?

 洋二郎君は、柳田邦男が「サクリファイス犠牲わが息子脳死の11日」を著した事で、私がこれを書き、私が書く事で、多くの人々がその死について考える時、
 決して忘れ去られ、歴史から抹消されはしない。
 私が、抹消させはしない。
 洋二郎君を抹消する事は、私を消す事になる。
19:02 2014/02/14金曜日