Blue Eyes - Within Temptation (Lyrics)

Blue Eyes - Within Temptation (Lyrics)

Title Blue Eyes
Artist Within Temptation

Blue eyes just smile to the world
Full of dreams and with fascination
Too soon she saw that her hands were chained and pulled without any freedom
It's always the same, they fear no way out
I cannot break it
I can take it no more

It's burning me up inside
Lost all my tears, can't cry
No reason, no meaning
Just hatred
No matter how hard I try
You fear the beast inside
It's growing, it's waiting
Just to hurt you

This heart was hurt by the light and
I see your world that tries to deny us
Now everything that I love has died or has been shattered to pieces
It's always the same, they fear no way out
I cannot break it
I can take it no more

Just to hurt you
Just to hurt you

Can't you see their eyes, what lies inside
They've given up, they no longer shine
Too soon they close with one last cry
Before they turn to light

It's burning me up inside
Lost all my tears, can't cry
No reason, no meaning
Just hatred
No matter how hard I try
You fear the beast inside
It's growing, it's waiting
Just to hurt you

Just to hurt you

Within Temptationは、
オランダのシンフォニックメタル(オーケストラ、合唱とのアンサンブルは、シンフォニー・交響曲を思わせる)、ゴシックメタルバンド(中世教会風、歌詞もキリスト教がバックにある。)

マイブログ リスト

TranslateElement翻訳

涸れた倦み

  • 存在 台所では - 存在 台所では台所では一刻も早く意識を失い嫌悪を丸め込み明瞭を閉じ込め夜明けまでに肝心なことは振り捨てて打ち明けるとしたら一言二言台所では言わなくてもいい自分がトマトに似てしまうので恥ずかしい理不尽に駆け寄っては母は暗い窓の向こうを見詰め泣いていた開けっ放した戸から引っ張り込みたい希望私は母の後ろで分別というも...
    5 か月前

涸れた倦み

2014年3月13日木曜日

柳田邦男を読む「サクリファイス犠牲わが息子・脳死の11日」83

神経症は、精神分裂病(2002年、全家連、公明党創価学会坂口力がより多くの患者創出の為、統合失調症に改名)や躁うつ病などよりも軽症で、軽度のパニック障害や強迫性障害等の機能的精神疾患を指す。
不安神経症、強迫神経症を総称し、神経症とかつては呼んでいた。
現在では、精神医学概念に相当しない。

神経は、確かにヒトの体内にある。
しかし、神経が一体どのような病に侵されるというのだろう?
精神はヒトの体の何処にもない。
無いモノは、傷付かないし、病まない。
神経症より重く、多くは器質的疾患に因(よ)ると言われる、何処にも存在しないモノである精神の病(やまい)など、ヒト自らが自らを殺すには打って付け、ヒトを死に追い遣ろうとする世界中の医師と、世界中の国家が創造して来た知的兵器であり、痴的で稚的な経済こそ全てであるといった発想に基づく。


柳田邦男次男洋二郎君は、T中学(男子制)二年生の時、級友にチョークをぶつけられ、眼房内出血、都立病院に11日間入院、眼球注射を継続。
洋二郎君は、その時、失明するのではないかという恐怖に慄いた。
退院後、医師は、通院を要請し、検査と投薬を続けた。

「医師は、、もう殆ど良くなりました。」と11日目に言う。
しかし、洋二郎君は、医師に訴えます。
「右眼の視野の中央付近に、黒い点があって邪魔になる。」
「黒点が見えて消えないんです。」
「黒いものが見えてうるさいんです。」
医師は、
「眼球にはもう傷はないんだから、そんな黒い点なんか見えるはずがない。」と断言。
「ないものはないんだ。気のせいだよ。そんなこと気にしちゃ駄目だ。」と叱ります。
ついに医師の前で、洋二郎君は、黙ります。
医師と云う、権威に対する信頼を、この時全面的に失います。
しかし、洋二郎君側に未だ歴然として有るのは、目に見える黒点です。
あらゆる権威に対する信頼は、ここで喪われた、と私は考えます。
「僕を救う人は、この世に一人もいない。」
彼は、決定的な諦観を胸に宿します。
同時に、息子がこれ程までに、今尚、克明に残る目の異常を、医師に訴えているにも関わらず、味方になってくれなかった両親への信頼を失くします。

柳田邦男は、今なら何か医師に言えるが、と書いています。
教師や、医師等の権威が親子の間に介入した場合、子は、自分に対する親の全面的支持を求めます。
子の主張を手放しで信じ、親が権威に向かわない時、子は親への不信感を募らせます。
ましてや、自分の体の最も大切な部位である目の異変に関する症状の訴えです。
洋二郎君が大袈裟に言う事も、嘘を吐く筈もありません。

多くの親が、思い当たる事件の一つや二つを抱えています。
私もぞの一人です。
洋二郎君は、この時を境に、暗くなっていったと言います。
暗いヒトは、人です。
この時、洋二郎君は、人になりました。
ヒトの孤独というものの中身を知り、それでもやはり愛すべきヒトを、彼は探し続けます。

21:04 2014/02/10月曜日