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涸れた倦み

  • 私の全身全霊が記憶している不正措置入院 - 「認知機能」は、人が心理学的な「認知」を行うための、知的機能を総称した概念です。五感(見る、聴く、触る、嗅ぐ、味わう)を介して外部から得た情報をもとに、物事の現状を認識したり、言葉を操ったり、計算・学習・記憶を行ったりします私達は脳からの指令で動いてはいない。今、私がこれを書いている理由、「統合失調症」という病...
    1 か月前

涸れた倦み

2014年2月15日土曜日

小説なんか読まなくても生きていられる 57


2014年2月14日(金)、 総合科学技術会議(議長・安倍晋三首相)に出席予定だった理化学研究所、小保方晴子を政府は出席させなかった。

万能細胞「STAP幹細胞」の作製に成功?!
酢をかける事で白変するのは、蛋白質が死んだから。
人間の体は、殆ど蛋白質とカルシウムで出来ている。
カルシウムに酢をかけると脆くなるかも・・・
蛋白質を酢に浸すと皆、シメサバ状態。
バッテラは大好き。
米子駅で売っているバッテラは、美味しそうだから一度食べてみたい。
酢をかけた鯖を千切りに千切り、細胞まで分け入って覗いたところで、やはりシメサバ状態は変わらない。
どのような細胞でも、酢をかけたからと云って、初期化などしない。
細胞の初期化、初期化された細胞を、理化学研究所とハーバード大学は、何時見たのか?
何故知っているのか?

細胞は細胞であって、何処にだってそれぞれの細胞があり、其処でしか作られず、其処でしか作られないものを他で作ってはいけないし、他に移したり、細胞の原型を発見しても、それを増殖したり、人の様々な臓器、骨、肉に移植してはいけない。
「臓器移植手術成功!」と言われて久しい。
移植した皮膚は、果たして、彼等の皮膚同様、細胞分裂を繰り返し、常に新しい皮膚へと生まれ変わっているのだろうか?

あの割烹着は、特別誂えたもので、お婆さんから貰ったものではない。
割烹着は、あんな上質の布で作られる事はない。
着物を着た時に汚さないようにするものだから、袖の付け根の幅が広い。
小母方晴子の話は、皆大嘘。
あんな発見?にノーヴェル賞が授与されるのだとしたら、これまで受賞した人って、「やはり、・・・ね。」と思う。

小説なんか読まなくても生きていられる 57

ロバート・キャンベル(1957年 - )
アイルランド系アメリカ人
カリフォルニア大学バークレー校卒業
ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了。
1992年Ph.D.(文学博士、日本文学専攻)取得
 九州大学へ研究生として留学後
 九州大学文学部講師(1990年~1993年)
九州大学国文学研究資料館助教授(1995年~2000年)
 東京大学大学院総合文化研究科助教授
2008年から東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻比較文化研究室教授

専門
 近世文学・明治文学、特に江戸中期から明治の漢文学、芸術、思想などに関する研究

 ロバート・キャンベルの「現代作家6人との対話・小説家真髄」を、2014年1月1月12日に注文し、13日配達予定なのに、15日夕方に届きました。
NHK出版とロバート・キャンベル、道夫秀介、江国香織、朝吹真理子、和田竜、朝井リョウ、桐野夏生の6人の小説家が拙い、不味い箇所を直したのでしょう。

小説が何故読まれないか?
 出版社も、小説家も、東大教授も分かっていない。
インターネットの所為ではない。
twitterの140字の所為ではない。
twitterでぶっきらぼうな話をしなさいと、誰かが命令している?
 道尾秀介さん、貴方自身がぶっきらぼうなのでは?
いろいろな人がいます。
 人がぶっきらぼうだからといって、それがどうしました?
ぶっきらぼうな140字が、その人の言葉であるのなら、それでいい。
twitterや、NETと、何かをしっかり読む姿勢の劣化とは、無縁である。

 ストーリーが面白くないものを一体何冊読めと言いたいのでしょう?
ストーリーが面白くないものを買い、時間を費やさなければならない私達読者?
そんな義務がありますか?
 作家は一生懸命?
 読者は、我慢が足りない?
そんな馬鹿な事を貴方方が言ってしまうのは、国家から生活保護費、精神身体障害者手当て、不正アクセスによるブログ投稿手当て、違法薬物製造手当てを貰って、指定された本を買って来たからです。

私は、高校一年の頃、太宰治の本を読みました。
 「人間失格」を手にして数ページ読んだ時、私は本を閉じました。
 「この本は、読まない」、と、そう決めました。

文章は、絶対ではありません。
 文章だけに出来る事もありません。
 文章の可能性を強調する者は、文章によって人を支配したがる者です。
19歳は、小説を書き始められる年齢ではありません。
 詩、俳句、短歌でさえ、始める年齢ではありません。

道尾秀介さん、貴方に言いたいのは、私達は、小説なんか読まなくても生きていられる、って事です。
 作家がどのような努力をしても、読者にそれを訴えたり、気付かせたりしてはいけません。
いいものは、何時か、何処かで、誰かが見出します。
どうか、ロバート・キャンベルさんも、出版社も、小説家も、私達が読みたいと思う人の本を、自分の小説に組み入れたり、過去の作家の小説に組み入れたり、出版を拒否したり、その手助けをしないで下さい。

22:14 2014年1月15日水曜日