精神科では、薬を処方するだけである。
カウンセラーは、保険が適用されない。
精神科の薬を呑むと、涎を垂れ、震え、意識が朦朧となり、眠くなる。
神経症であろうが、精神分裂病であろうが、躁病、鬱病であろうが、一日中ぼんやりして眠っているだけの生活よりはましである。
精神は何処にあるというのか?
有りもしない、居場所さえ特定されない精神を、病みがちにするのは、家族、社会、精神科医である。
病めるこころとは?
何故、「貴方の心は、病んでいる。」と決め付ける?
正常な心と病める心の違いをどう説明するのだろう・・・
何事につけても、暗い方向に思考のベクトルが向かう傾向を、病める魂とでも言いたいのだろうか・・・
それにしても、プラス思考の人間は、問題が起きても深く掘り下げないし、何とか解決しようとする気構えすら見せない。
人は、晴れた空の下、晴れ晴れと生きる日もあり、又生きようとする日もあり、青いだけの空を虚しいと感じてしまう日もあり、雨の中を何処までも歩こうとする日もあり、何処にも行かずに、雨が地に落ちる様子を窓に凭れて只見ているだけの日も、気の塞ぐ雨だとつくづく思う日もある。
「悩んではいけない」と、何時からか、誰がそうしたのか、決まっていた。
TVもラジオも新聞も、雑誌も、本も、「人は、悩むからこそ人だ。」と云う事を忘れたようだ。
長い間、日本の私小説は、私小説家その者でさえ否定して来た。
日本の私小説こそ、最高の人の心理を紐解き、縺れた心を解き解(ほぐ)す書物だった。
私達は、精神病院には行かなくてよい。
ペンを走らせててもいい、パソコンのキーボードを叩いてもいい、私小説でも書こうではないか!
書くとすっきりする。
悩みは、自分の元を離れ、普遍化する。
人が理解出来るように書けると、嬉しくなる。
「もっと私に深い悩みを・・・」と、願ったりもする。
精神神経学会は、国民に欝傾向にする薬を家に侵入して呑ませる。
精神病院や、神経科に行けば、誰でもその場で「・・病患者」「・・シンドローム患者」と名付ける。
精神科医に罹りだすと、精神病治療薬を必ず呑ませる。
精神病治療薬は、精神病罹患薬である。
21:46 2014/03/22土曜日
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