柳田邦男長男賢一郎は、
「ただ弟の臓器を利用するというのでなく、病気で苦しむ人を助ける医療に弟が参加するのを、医師は専門家として手伝うのだ、というふうに考えてほしいと思うんです。」と、云う。
臓器提供は、尊属殺人です。
脳だけが死ぬ事はありません。
手だけが死なないのと同じです。
洋二郎君の心臓を停止させ、殺すには、腎保存液を注入すればよい。
柳田邦男、柳田賢一郎、日本医科大学富岡譲二医師、脳神経外科医佐藤秀樹、厚生省移植コーディネーター玉置勲は、洋二郎君の殺害の証拠を隠蔽し、息を吹き返した洋二郎君の人工呼吸器に繋ぎ、脳死判定を行い、腎保存液注入によって殺害ました。
厚生省玉置勲は、2004年、厚生労働省、文部科学省が、私に性的虐待、記事や詩の窃盗を始めた時に50歳で死んでいます。
殺害されのでしょう。
この下は、私のパソコン、私のNTTPlala接続を使って書き込まれた、医師会、日本医科大学、東京医科大学、柳田邦男、五木寛之の書き込みです。
柳田邦男と五木寛之、文芸春秋社は、米子市に入り、不正アクセス、投稿妨害。
私の記事や詩、翻訳詩の投稿妨害、金品窃盗、音声送信と電磁波による性的、肉体的虐待を繰り返しています。
現在、テレビ朝日「朝生テレビ」、文芸春秋社男女は、
オウム真理教の不正アクセス担当者、翻訳者男女と同棲、西尾、北尾、中村、神田(創価学会)に破廉恥な事に、一緒に泊まっています。
「サクリファイス犠牲わが息子・脳死の11日」に出て来る日本医科大学、東京医科大学教授は、米子市の私の家の周囲に常駐。
東京医科大学は、精神科医香山リカに、医師免許、医学部出身の経歴を提供しています。
香山リカは、経歴詐称し、不正アクセス、記事や詩、私の子供の書いたものを、日常的に盗んでは、出版、毎日新聞に盗んだ記事を投稿しています。
柳田邦男と香山リカ、五木寛之と香山リカ、作家等は揃って精神病関係の対談形式の本を、香山リカと出版しています。
特に五木寛之は、乱交、麻薬、特にアヘン等の麻薬に詳しく、法律に違反する吸引を行って来ました。
五木寛之、毎日新聞社が、しょっちゅう「幸せ」や「ブータン」について語るのは、アヘンの「多幸感」の仄めかしです。
柳田邦男は、毎日、東京医科大学、日本医科大学教授と私の家に侵入しては、「サクリファイス犠牲わが息子・脳死の11日」を改竄。
柳田邦男が何故そうするか?
息子は殺されているのに、警察に通報せず、未だ死ぬ前から臓器移植の事を医師に告げ、腎臓を提供したと言っていますが、すい臓もと言われて、否定していますが、すい臓も提供したのではないかと思います。
ノンフィクションは、フィクションではありません。
出版社は、最終的に、書いてはいけない事と書く事を、選り分けています。
時間に関する事などは、そのまま他の医師が使用していいものではありません。
作家の或る種のアリバイとして利用されます。
利用しているのは、柳田邦男自身が、この下の書き込みによって、被害者側に回ろうとしているからです。
不審な死に方にも関わらず、警察に通報されなかった洋二郎君。
そして、死体ではなく、脳死段階での臓器提供が行われた。
自殺した子供の臓器を、未だ移植件数の少なかった頃に、何故焦って提供したのでしょう?
ドナーの名前は、決して明かされる事はありません。
医師や移植コーディネーターと協力すれば、不審な死因を消せます。
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http://www6.plala.or.jp/brainx/index.htm死体からの臓器摘出に麻酔?
http://www6.plala.or.jp/brainx/beating_NHBD.htm「心停止後」と偽った「脳死」臓器摘出(成人例)
ノンフィクション作家も騙された #19930820
生前に臓器提供者の腹部大動脈に挿入したダブルバルーンカテーテルのバルーンを拡張すると、動脈の血流が遮断され、急激な循環血液量の減少で臓器提供者はショック死する。あるいは上記の小﨑論文にあるとおり、臓器提供者が生存中に腹部臓器の冷却灌流を行なっても心停止を誘導できる。そのショック死をさせる過程で家族を呼べば、「心停止後の臓器提供」と演出できる。その実例とみられる様子が、柳田 邦男著、犠牲(サクリファイス)、1995年7月30日第1刷(文芸春秋)に掲載された。
1993年8月10日(火)、柳田 洋二郎氏(25歳)は自殺行為で日本医科大学多摩永山病院救命救急センターに入院。同氏からの腎臓摘出は、上記の東京医科大学八王子医療センターの移植チームが1993年8月20日に行なった。
父親のノンフィクション作家、柳田 邦男氏の観察によると、灌流開始後に「午後6時55分:呼ばれてベッドサイドに戻った。顔も手も白くなっていた。頬に手を当てると、冷たかった。・・・・・・心細動の状態」とあることはショック状態と想像さ れる(全経過は下記に掲載)。
移植コーディネーターの玉置 勲氏は8月17日(火)に「血圧が50を切っても、いつまでも心停止しないときは、腎機能に異常をきたす可能性があるので、その時は心停止前に冷却した腎保存液の注入を開始したい。それによって心停止が数分から10分程度はやまる可能性がある」と説明。臓器摘出手術の一貫をなす 「ダブルバルーンカテーテルによる腹部大動脈の血行遮断、腎保存液の腎動脈への注入、下大静脈からの脱血」がショック死を引き起こすことを隠して、父親=柳田氏に虚偽のインフォームド・コンセントを行なったとみられる。
家族が死後腎提供を決心した時に、兄の柳田 賢一郎氏は玉置氏に「ただ弟の臓器を利用するというのではなくて、病気で苦しむ人を助ける医療に弟が参加するのを、医師は専門家として手伝うのだ、というふうに考えて欲しいと思うんです」と要望した。玉置移植コーディネーター(日本移植コーディネーター協議会会長)は、「腎保存液の注入を開始したら数分後には心停止します。それでも行なってよろしいでしょうか。3徴候死後の提供ではありませんから、違法な脳死下提供になります。人工呼吸器を止めて心停止を確定させるまでに数分間はありますので、その間にお別れをしていただきます」と違法行為であることも含めて正確に説明すべきではなかったのか。柳田 邦男氏の著書からは、事前のヘパリン等の投与についても、説明されず承諾を得ていないとみられることも問題だ。
柳田 邦男氏は1997年4月8日、衆議院厚生委員会に参考人として出席、「実際、私自身も、死後腎移植とはいえ、心停止が来る10分前から冷却剤の注入が始まりました。まだ心臓の鼓動は弱いながらありました。しかし、冷却剤を注入すると10分で心臓はとまりました。そのときの本当に胸が締め付けられるような思い、殺したのじゃないかという思い、これはいまだに消えません。それを乗り越えて移植というのは成立するのです・・・」と発言している(第140回国会衆議院厚生委員会議録第13号p27上段1行目~8行目)。
月日
経過
8月10日(火) 午前1時過ぎ:ベッドでコードを首に巻きつけて動かなくなっている。心臓も呼吸も止まっていた(父親が発見)。救急士の心マッサージにも反応せず。日本医科大学多摩永山病院救命救急センターに移送。
未明:心蘇生し、自発呼吸戻る。心拍数は正常値。顔面に溢血痕があったが、全身の血色は悪くはなかった。声をかけても反応はない。瞳孔は開いたまま。
午後3時:医師の病状説明
脳波は非常に緩慢で活動性が低い波、大脳の機能がかなり落ちている。聴性脳幹反応はⅠ、Ⅱ、Ⅲ波はまあまあ出ています、Ⅳ、Ⅴ波も弱いながら出ている。自発呼吸も弱いながら出ている。脳幹も障害を受けているけれど、機能は残っているので、脳幹死ではない。脳浮腫は出ていない。今後の見通しで最もありうるのは植物状態、最悪の場合、脳死に移行するおそれもある。私たちとしては、何とか生命を維持して、せめて植物状態に持っていきたい。意識が戻る確率は、統計的データがあるわけではありませんが1%程度でしょうか。
8月11日(水) 明け方から体温が39℃以上に上昇、アルコールで体を冷やす。
午後2時半:医師の病状説明
瞳孔は散大したままで縮小せず、対光反射もない。脳波は、かなり衰弱し、ノイズと判別しにくいほどになってきた。大脳の機能回復は期待できないかもしれない。聴性脳幹反応はⅠ、Ⅱ、Ⅲ波は昨日と同じ程度に出ているが、Ⅳ、Ⅴ波がはっきりしなくなっている。体温の上昇は、脳幹の体温調節中枢の機能が落ちたためかもしれない。唯一の期待は、自発呼吸が残っていることである。
父の観察:張りのある胸の皮膚はピンクがかって温もりがあり、心臓は元気に鼓動を打っていた。普段居眠りしているときと、何ひとつかわらない感じだった。
8月12日(木) 兄の観察:目からかなり涙が流れる。
父と兄の観察:言葉はしゃべらなくても、体が会話してくれる。
午後2時:医師の病状説明
自発呼吸は昨日まで毎分10回あったが、今日はだんだん減って、現在毎分2~3回になってしまった。人工呼吸器で毎分12回のペースにしている。脳波はほとんど平坦になってしまった。大脳皮質の機能はほとんど失われたとみられる。聴性脳幹反応は、Ⅳ、Ⅴ波はまったくなくなり、昨日わずかに波形のみられたⅢ波も、今日はほとんどわからない状態になった。今朝から尿量が増えている。脳幹にある視床下部が駄目になると、尿のコントロールができなくなるが、その可能性も考えられる。当初考えていたより悪い方向に向かっている。現在は植物状態から脳死に向かっている。・・・・・・もちろん脳死患者だからといって放置するのではなく、私たちは生きている患者さんと同じように最後までお世話します。
午後7時:自発呼吸が完全になくなる。
兄の観察:心拍数は毎分80くらい
8月13日(金) 兄の観察:今朝明け方に心拍数は毎分60に下がる。顔の溢血が引く。
午後3時:医師の病状説明
かなりの脳浮腫が起きて、そのため脳圧が上がって、おそらく40~50はある。脳圧が40を越えると、脳細胞は不可逆的に溶解してしまうといわれます。もはや脳は機能していないと考えられます。明日、第1回目の脳死判定、月曜日までには2回目の最終判定をしたい。
父の観察:午後10時すぎ、血圧は上が100強、心拍数60
8月14日(土) 午後2時:医師の病状説明
体温は36.5℃、血圧は120~50、心拍数は61、心拍数がやや落ちている程度で、心臓はよく保たれているのですが、脳死判定に必要な項目はすべて、ネガティブになっていますので、脳死と判定しました。6時間以上経ってから、2回目の判定をします。・・・・・・もし骨髄提供ができないときには、腎移植を待つ患者のために、腎臓の提供という道もありますが、如何でしょうか。もしそのお気持ちがあるのでしたら、移植コーディネーターにこちらに来てもらって、詳しい話をしてもらうことができます。
父の返事:急な話なので、この場でイエスかノーかをきめることはできません。それが洋二郎の意思にそうものなのかどうか、家に帰ってから妻や長男と相談して確かめたいと思います。いずれにせよ、移植コーディネーターには、明日2回目の脳死判定がすんだ後に、お会いしてみます。
兄の観察:脳死判定というから、どんなことをするのかと思ったら、耳に水を入れてみたり、顔や眼をつついてみたり、意外と原始的な方法で調べるんだなあ。それで脳のなかがわかるんだから不思議だ。
家族で閉じた両目にたたえる涙をふき、顔、手足をふいた。
8月15日(日) 心拍数47~48
午後2時:2回目の脳死判定、脳死と判定。
父の観察:脳死判定に立会い、無呼吸テストのために人工呼吸器を外したときだけは、≪ひょっとして≫という気持ちが働き、耳をそばだてた。・・・・・・顔の溢血痕がほとんどとれた。言葉をかけると、いままでと同じように体で答えてくれる。
移植コーディネーター・玉置 勲氏の腎臓摘出手順に関する説明
1.腎臓をできるだけ健全な状態で保存するために、心停止前に腎保存液を動脈から注入する、その方法は、
①血流が停止してからでは、血管の確保が困難になるので、血圧が100を切ったら、大腿動脈の一部を露出してマーカーをつけておく。
②血圧が50以下になると、もはや末梢血管に血液が流れなくなり、細胞の衰弱・死滅が始まるので、大腿動脈からカテーテルを挿入して腎動脈に到達させ、冷却した保存液を注入する。
2.心停止したら、5分ないし10分程度で家族にお別れをしていただき、その後、救命センター内の手術室で腎臓を摘出する。摘出手術は、東京医科大学八王子医療センターの移植チームが担当し、2~3時間で終了する。摘出後はきれいに縫合して、家族に引き渡す。
父親が承諾書に必要事項を書き込もうとすると、玉置氏が「腎臓以外に膵臓の提供は如何でしょうか」。父親はせっかく昨夜考えを整理したのだから、ここで問題を複雑にしたくないという思いから断る。
8月16日(月) 兄の観察:心拍数が40ぎりぎり、体温33℃台。
医師の説明:明日午後あたりが最後になるかもしれない。いまのところ腎機能は正常に保たれています。今日夕方には、東京医大の移植チームがきて、下腿動脈の確保をすることになりました。もし移植チームの準備が整わない深夜などに、急に血圧が降下し始めたら、昇圧剤を増量して、腎保存のために血圧を保持するという操作が一時的に必要になるかもしれません。
父親:せっかく腎提供するなら、最善の状態で提供したい。洋二郎もそれを望んでいるはずです。これからは、自然死に近づけながら、よりよい腎移植を実現するように対処してください。
父の観察:手足が少し冷たくなっていたが、顔も胸もいぜんとして温もりがあった。どこにも褥瘡のかけらもできず、きれいは肌が維持されている。
8月17日(火) 午前9時:昇圧剤の点滴打ち切り。昇圧剤を切っても、心臓は血圧90、心拍数50で、切る前とまったく変わらない。心拍数は前日よりむしろ持ち直した値。
玉置移植コーディネーターの説明:近郊と地方の病院に腎移植待機患者が1人ずつ見つかった。血圧が50を切っても、いつまでも心停止しないときは、腎機能に異常をきたす可能性があるので、その時は心停止前に冷却した腎保存液の注入を開始したいのです。それによって心停止が数分から10分程度はやまる可能性があるのですが、よろしいですか。
父親:心停止をはやめるというと大袈裟だが、もともと無駄な延命を拒否して昇圧剤を切ったことは、すでに心停止を早める措置を行なっているに等しいのだから、それがさらに腎保存のために数分ないし10分程度短縮されたからといって、本質的には何の新しい事態でもない。感情的にも何の抵抗感もなかったから私は「異存ありません。最善の腎移植が行なわれるような方法を選んでください」と答えた。
夕刻:血圧、心拍数は変化しないため、移植チームは引き揚げた。
父の観察:洋二郎の顔はピンクがかっていちだんときれいになっていた。
8月18日(水) 父の観察:血圧140前後、心拍数60台、看護士が「あら、お父さんが来たら、急に上がったわ。さっきまで血圧は120台、心拍数は60台だったのに」
8月19日(木) 父の観察:手足にややむくみが出てきたものの、顔の溢血痕が全くくなくなって、楽しい夢を見ているような穏やかな表情をたたえている。血圧140、心拍数54、体温36℃、全く正常なので看護士も驚いた表情。
8月20日(金) 未明に急に血圧が60台、心拍数が40、体温が34℃台に下がった。移植の準備が整わないまま、腎臓の血流が保てなくなりそうだったので、昇圧剤を点滴して持ち直す。電気毛布で体を温める。
父は兄と清拭しながら「よく頑張った。2人の人の命を助けるんだ。最善を尽くすからな。その2人のなかでいき続けるんだ」
午後2時すぎ:血圧113、心拍数60
午後3時すぎ:血圧 97、心拍数39
午後3時半 :血圧 89、心拍数37
午後4時 :移植チーム到着、家族は集中治療室を離れ、大腿動脈から腎保存液を注入するためのカテーテル挿入開始
午後4時半 :九州の腎移植センターが、深夜の自衛隊機出動要請でなく、明朝の旅客機始発便で腎臓の搬送を要望。玉置コーディネーターが腎移植センター長に電話し、輸送手段確保・緊急手術準備に。
午後5時半 :医師から「カテーテル挿入終了、血圧が下がり心拍数も30台」の連絡ありベッドサイドに戻る。
午後6時15分:医師が「血圧が下がってきたので冷却保存液を灌流させることになりますので、また待機室で待機してください。30分ないし長くても50分くらいで心停止となる可能性がありますので、いよいよとなったらお呼びします」
午後6時55分:呼ばれてベッドサイドに戻った。洋二郎の顔も手も白くなっていた。頬に手を当てると、冷たかった。閉じた目に涙がにじんでいた。モニターに心拍波形のスパイク波もはやなく、心細動の状態。
人工呼吸器の端末を外し、スイッチを切った。
午後7時 2分:医師が「19時2分、死亡と確認します」
午後11時すぎ:腎臓摘出がすみ、遺体が自宅に帰る。
21:12 2014/03/05水曜日